2019年09月25日

おはようございます。今日紹介するのは井上康文の詩です。



薄の穂 白くほうけたり、
わが秋は寂しからず、
雲は 愁ひのごとく散りゆけり、
遠きかなたにー。


「ほうけたり」が引っ掛かりそうですがここでは「(草や髪の毛などが)ほつれ乱れる。けば立って乱れる。」という意味の用法だと思います。
そうするとこの詩は意味が通ってきます。

想像するのは日本家屋の縁側でのんびりしている風景でしょうか。
ススキが群生して白い穂が風に揺れて乱れている。
ふと顔を上げると秋の雲が散っていく。
その姿を見ていると自分の悩みも晴れていくようで雲が散ったころには悩みも遠くに行ってしまったようだ。
そんな感じでしょうか。

秋は物思いに耽りやすいのか思索の季節といった感じなのでしょう。
その思考の旅に行き詰まり、ため息が多くなってくる。
ススキのほつれ乱れた穂はその比喩なのかもしれません。
とにかく、そんな時はどうしても視線が下に行きやすいものです。
そんな時ふと上を見上げると解決することもあると思います。
そういった前向きな力強さを私はこの詩から感じました。


syodobiyori at 06:00|PermalinkComments(0)井上康文 

2019年09月24日

秋の空廓寥として影もなしあまりにさびし鳥など飛べ

おはようございます。今日は石川啄木の短歌を紹介しようと思います。


秋の空廓寥として影もなしあまりにさびし鳥など飛べ


廓寥は「かくりょう」と読み、もの寂しい様子を表します。
秋の空はもの寂しく影もない。寂しすぎるから鳥くらい飛んでほしい。
そんな感じの意味だと思います。

私はこの歌の情景を薄暮時だと思いました。
近頃の薄暮時は雲が高く見上げていると吸い込まれそうな感覚になります。
周りに建物がないところなどではそのままひっくり返りそうになります。
それだけ雲が高い空に何もいないともの寂しい。何か動くものが欲しい。
そこで鳥の出番です。「あぁ、あの雲間に鳥が飛んでいたら絵になるだろうなぁ」
そんなことを思いながら秋の薄暮時の空を見上げる情景。
これがこの歌から私が受けるイメージです。

皆さんはいかがでしょうか?


syodobiyori at 06:00|PermalinkComments(0)石川啄木 

2019年09月23日

暮立

おはようございます。今日9月23日は秋分。秋のお彼岸の中日です。そこで今日は秋分を意識させる漢詩を紹介したいと思います。

暮立      

黄昏独立仏堂前   

満地槐花満樹蝉   

大抵四時心総苦   

就中腸断是秋天

この詩は白居易(白楽天)の詩です。詳しいことは後にして続いて書下しを紹介します。

暮に立つ    

黄昏に独り立つ仏堂の前

地に満つる槐花樹に満つる蝉

大抵四時心総べて苦しけれど

就中腸を断つは是れ秋天

この詩は白居易が40歳の時、白居易の母親が亡くなった年の秋喪に服しているときに作られた詩です。
29歳で科挙の進士科に合格し、これから恩返しを……と思っていた時期ではないでしょうか。
その背景を考えながら起句を見ると「黄昏」「独立」「仏堂前」すべてがズシンと重みを増してきます。全体から母を喪った悲愴が滲み出てくるようです。



syodobiyori at 06:00|PermalinkComments(0)白居易 
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